物語のないMONO-語り

中学生の海外生活の日々を描く

今月の美味しいMONO-語り -抹茶わらび餅が取り戻してくれた笑顔

先週だろうか?もう少し前かもしれない。イギリスではお店たちが営業の再開を始めた。

正直最近、日本の緊急事態宣言が解除された後の様子を親戚の報告やニュースを見ながら羨ましく思っていた。解除されて大変なこと、直面している問題もたくさんあるだろう。でも、隣の芝生は青い、ということわざがあるように、よその国のほうが良く見えてしまう。

私は基本的にこのロックダウンの期間、やりたいこともたくさんあったし、かなり楽しんでいた。でも日本の緊急事態宣言が解除されてから「コロナじゃなかったらこんなことができた」という物が頭の中に次々と浮かんできた。9000キロ以上も離れている日本での宣言の解除が、今まで気が付いていなかった私の中の欲望をあらわにし、その欲望を抑えていた紐をまで緩めてしまったようだった。

「コロナ疲れ」ついこの間まで私とは無縁だった言葉をよく言い訳に使うようになっていた。たまにやってくる、この何だかだるい気持ちはそのせいだろう。でもある意味でコロナ疲れという言葉は私を救ってくれたのかもしれない、と今この文章を書きながら思った。いつもは楽観的な自分が急にどんよりとした気分になった時、この言い訳がなければきっと無理をして、元気になろうとしていただろう。コロナのせいだ、と思うことで被害者をよそおい、自分に優しくすることができた。ようやく自分も一歩遅れて世間に追いついたか、と心の底で、流行にギリギリセーフで乗れたかのような気持ちにすらなっていた。

 

散歩がてら、一番近くの街と呼べるエリアに足を運んだ。店が開いていた。

人々が店の前で並んだり、ワクワクした顔でテイクアウトを受け取っている様子を見て、母は「なんだか少し感動的ね」と言った。相槌を打ちながら私は前からやってくる家族を、作り笑いを浮かべながら左側に避ける。すぐさま、今度は前から大学生くらいの女の子たち二人がやってくる。今度は右側に避けないといけない。左、右、左、、、あからさまに避けていると見えないように、狭い歩道でいちいち微笑みながら、ステップを踏む。無意識に呼吸を止めてしまう癖はきっともうほとんどの人についているだろう。たまに「Thank you」と言われる。人を避けることで礼を言われるなんておかしな世界になってしまった。でもそのおかしな世界が日常になっていっているのも事実だ。もうぼーっと歩くなんてことはできない。常に前と後ろを見て、ぶつからないように、近づきすぎないように、、、歩くだけで神経を使うなんて、、、

それでも街に活気が戻ってきたのは嬉しいことだ。前は、ぶつかろうにもぶつかる人がいなかったのだから。オンラインで買ってサイズが合わなかった服を返しに母と私はBimba y Lola に入った。服屋さんに入るのなんて何か月ぶりだろう、、、ワクワクする気持ちと緊張する気持ちを抑えながら、店頭に置いてあるアルコールで消毒をして店に足を踏み入れる。「Good morning」、マスクをした店員さんの笑顔はどこか少し疲れて、こわばっているようにも見えた。品物の返品をして、せっかくだから少し店内を回る。

「Sorry but you are not allowed to touch anything. If there is anything that you want to see closely, please ask and I will show it to you.」

申し訳ありませんが商品には触れないよう、お願いいたします。気になるものがございましたら申し上げてください。

まるで高級ジュエリー屋さんのようだ。どれも可愛いなと思いながらも足早に通り過ぎて、礼を言って店を出る。私の中でショッピングの醍醐味は気軽に色々試せることだ。試着したり、手に取ってみたり、「いや、これはおかしいだろう」と何度も自分にツッコミながら見ていると突然「これだ!」というものに出会う。もちろんであった時の喜びは最高なのだが、宝探しと同じように、案外その探す工程が楽しかったりする。オンラインのほうが色々気軽な時代だが、ショッピングだけは実際に足を運ぶほうが気楽に感じる。店内を見ていると、可愛いけど店員さんにお願いしてまで見るほどの物じゃない、という結論に至るのは普通だと思う。そうすると結局オンラインで見ているのと同じなのだ。

もちろん、全てがこのお店みたいに徹底的な対策がされているとは限らない。たまたま一番最初に入ったのが「ちょっといいお店」だっただけなのだが、まだ日常に戻るまでの道のりは長いんだ、と痛感させられた。なんだかんだ言っていつかは日常に戻れるでしょ、という私の楽観的な考えがいかに浅はかだったか、、、

制限が緩まるたびに、私たちの心は引き締まっていく。

「日常に一歩近づいた」のと「日常に戻るのに一歩近づいた」にはかなり大きな違いがあるようだ。

 

日本に最後に帰国したのは去年の夏。一人で帰国したので母は一昨年の夏が最後だ。本当ならば今年の春休み、一時帰国するはずだったのだがコロナの影響で夏に引き伸ばしになっていた。でも思っていた以上にこのウイルスは強敵で、夏もキャンセルに。日本が大好きな私は一年に一回は日本に帰りたい、、、和菓子食べたい、ロフト行きたい、友達や親戚に会いたい、、、春にキャンセルになったときは「まあ、夏休みなら春より長く帰れるし」と意外と楽観的に受け止めていたのだが、マラソンでゴールに近づくたびに、ゴールテープを遠ざけられるような、そんな状況になっていた。

私にとって一年に一回の一時帰国はゴールのように、そこを目指して走っているというよりも、そこにあって当たり前のお楽しみ、一つの行事のようなものだった。行事ってそこに向かって毎日生きているわけではないけれど、その季節が近づくと無意識に楽しみになっていてワクワクしてくる、そんなものだ。別にそれまで意識していたわけではないけれど、その時期に近づいていきなり「あっはい、この行事は延期です。あと数ヵ月待ってください。」と言われると信じられない気持ちと悲しい気持ちが耳障りの悪いハーモニーを奏でる。「いや、冗談でしょ。もしかしたら、、、やっぱりあるよ、ってことになるでしょ。あと二週間したらもしかしたら、、、」無理なことが分かっていてもつい希望を持ってしまう。最初に引き伸ばしになったときは、夏になったら収まっていると確信していたけどその確信が見事に裏切られた今、次の約束は果たして守られるのか、延期の延期で迎えた運動会第三の開催日、また雨になって中止になるの?

 

そんな答えのない質問を聞き続けた六月、日本から一つの箱が届いた。家族ぐるみで仲良くしているお友達家族からだ。開けると、、、たくさんの日本の物が入っていた。その中に私はあるものを見つけてしまった。

和菓子。

私は大のスイーツ好きだ。中でも和菓子は一番好き。黒わらび餅、あんころ餅、くずもち、抹茶わらび餅。私たちのことを思いながらこうやって箱に詰めてくれている人がいる、有り難いことだ。

金曜日の夕方、家族そろっておやつの時間を迎えた。悩んだ末選んだのは抹茶わらび餅。大好きな抹茶と一番好きかもしれない和菓子の一つ、わらび餅が合わさったものなんて最高以外の何物でもない。お菓子に敬意をはらって特別な透明のお皿にだすとそれはまるで宝石のようだった。深緑色で半透明のまるいわらび餅はお皿の真ん中にどーんと座っていて、輝いていた。丁寧に抹茶きな粉をふりかける。隣であんころ餅にきな粉をかけている父は「富士山みたいだ」と言う。

「はあ」、と思わずため息をついてしまう。「はあって言うゲーム」だったら優勝確定だろう。それくらい気持ちが溢れでてしまうほど美しいのだ。そう、和菓子は美味しいだけでなく美しい。味までもが繊細で、イマジネーションと夢に溢れていて、芸術的なのだ。完璧な作品に私はスプーンをいれる。抵抗もせずすんなりとスプーンを受け入れてくれたわらび餅を口に運ぶ。この瞬間が一番ワクワクする。どんな味だろう、想像が膨らんでいく。

「あー」

本当に美味しいものを食べたとき人はちょっと不思議な効果音をだすのだと知った。そしてすぐさま「口に運んでいる瞬間が一番ワクワクする」という暴言を撤回する。この小さな一口がこんなにも人を幸せにすることができるなんて。スイーツの食感を説明するときにのどごし、という言葉を使うのは変かもしれない。でもこのわらび餅は舌ざわりが良い、だけでは終わらないのだ。久しぶりの和菓子だったから興奮したのかもしれない、いつもより美味しく感じたのかもしれない。食べ物は五感じゃなく、六感全てで感じるものなのかもしれない。食べ物一つ一つに思い出が混ざっている。でも食べ物のすごいところは同じものをもう一度食べたとき、新しい思い出が練りこまれるのだが、その時に前の記憶が消えてしまうのではなく、より鮮明になるのだ。食べ物は食べるたびに一人一人の中でアップデートされていく。だから美味しいもの、記憶に残るもの、は何度食べても飽きないのだ。

「冬に帰れるかもしれない。冬だったら福袋買えるなー。お餅が美味しいなー。冬の温泉は最高だよなー。」わらび餅のおかげで自然と楽観的になっていた。難しいメッセージとか、哲学とかを押しつけてくるわけでもなく、ただ幸せにしてくれる。

 

少しは家でのんびりする時間が欲しいなと思っていたところにその願いがロックダウン、という形で叶う。するとすぐさま早く外に出たい、と。こんな風に良くも悪くも複雑な人間を一時的にでもシンプルにしてくれるのは食べ物だ。

七月はどんな美味しい物語が待っているだろう。

 

*ちなみに和菓子は金沢兼六庵というところの物らしい。ごちそうさまでした。